芸術現代社 「音楽現代」アートページより 2014年7月号
(4月22日、東京文化会館小ホール)
作曲家・ピアニスト・音楽評論家:生田美子
名ピアニスト・作曲家、教育者であった故ライグラフ名誉教授の助手を務め、現在モーツァルテウム芸術大学の国家認定教授である三木裕子のリサイタル。
前半はドビュッシー「前奏曲集第1巻」全12曲。「音が空間をたゆたう」演奏。音の妖精が時には瞬発力を持って飛び交い、時には静かな波紋を生み出す。五感を研ぎ澄まして自然界を音に託したドビュッシーの世界が大いに味わえた。個々の音という最小単位から、モチーフ、メロディーの扱いについて深く分析され、緻密に音色を弾き分け、それらが垂直的な響きの像と重なり合うことで多様なテクスチュアが生まれる様は見事。常に余白を残した、いわば日本の美意識と共通するドビュッシーの表現が流石であった。
シューマン「ダヴィッド同盟舞曲集」は、シューマンの呼吸、感情の襞が丁寧なタッチによって紡ぎ出された。楽器を無駄のない動きで鳴らし切り、解放感溢れる演奏であるものの、細部まで楽譜を深く読みこんだ構築的な解釈は巨匠ならではの音楽づくり。フロレスタンとオイゼビウスの表現が、煌めきある音色と張りのあるリズム感で見事に表された。アンコールのラヴェル、スクリャービンも名演、バッハは正に天上の音楽。三木は、自己を律して長年海外で生活されてきたのではないだろうか。音楽に対する献身的な姿勢は、現在の流行や西洋的な解釈の真似事ではない、自己から表出される素直な解釈の賜物であろう。日本で音楽を学ぶ人達のためにも、日本での演奏会が数多くなされることに期待したい。
ピアノ音楽誌 「月刊ショパン」演奏会から 2014年6月号
(4月22日、東京文化会館小ホール)
批評家:道下京子
三木裕子は京都市出身で、東京藝大とミュンヘン音楽大学、そしてザルツブルク芸術大学(モーツァルテウム)で研鑽を積み、第42回日本音楽コンクール第1位、その他国際コンクールでも受賞歴をもつ。現在は母校ザルツブルク芸大で教授を務めながら、演奏活動を続ける。
筆者は三木のCDを聴いて深い感銘を受け、このリサイタルに足を運んだ。プログラム前半は、ドビュッシー《前奏曲集第1巻》。うっすらと透き通るような響きを残しつつ、煌びやかさを控え、まろやかで味わい深い音で、作曲家の心の動きをじっくりと綴り上げてゆく。殊に幅広い弱奏の表現は特筆すべきである。彼女の手から紡ぎ出される微細な音の霧のカーテンは、静かに空間を漂う。そのカーテンは幾重にも織り合わさり、さまざまな表情をデリケートに生み出した。あいまいな音の混濁はなく、作曲家の真意を伝えるべく、凛とした論理を土台とし、高雅な佇まいを見せていた。若手演奏家には真似のできないようなうまみのある音と熟練の技を示した、余裕のドビュッシーであった。
休憩後は、シューマン《ダヴィッド同盟舞曲集》。ややミスタッチも見られたものの、複雑な心情を映し出す音の動きを丹念に追求する。自身と音楽との絶妙な距離の置き方は、彼女の優れた音楽解釈に直結しているように思う。落ち着いた眼差しと揺るぎない信頼感、そして人間味あふれる演奏であった。
音楽の友社 「音楽の友」Concert Reviews 2014年6月号
(4月22日、東京文化会館小ホール)
批評家:上田弘子
故ハンス・ライグラフ教授の高弟である三木が、師匠譲りの解析力とイマジネーションで聴かせた一夜。前半はドビュッシー「前奏曲集第1巻」。自身の打鍵に最適な空気感を作り、能の摺り足のように一歩一歩、美音を重ねる。いわゆる印象派云々などイメージに依存せず、知的な読み聞かせの様相。〈デルフィの舞姫たち〉や〈雪の上の足あと〉など拍感やリズムが厳格で、そのため楽曲の真意が伝わる(昨今、音価がいい加減な奏者が少なくない)。手の重みを鍵盤に上手く乗せた音色のグラデーションも上手いのだが、ここでは時おりロジックが邪魔をする。気中に委ねれば、音色はさらに開くのにと惜しい。後半のシューマン《ダヴィッド同盟舞曲集》では、そのロジックが音楽を支える。全18曲は自然体で進行していき、シューマンの夢想の世界が三木のイマジネーションによって立体化される。ここでも音化の扱いが完璧で、またペダリングも的確。熟練の技巧ゆえの名演で、アンコールのバッハも絶品。
音楽の友社 「ムジカノーヴァ」 2011年2月号(10月27日、王子ホール)
批評家:雨宮さくら
京都市出身の三木裕子は、東京藝術大学卒業後、ドイツのミュンヘン音楽大学で学んだ後、オーストリアのザルツブルグ芸術大学(旧、モーツァルテウム音楽院)でも研鑽を積み、現在、その大学にて国家認定教授としての地位にある。第42回日本音楽コンクール第1位ほか、多くの国際コンクールに入賞歴があり、これまでにCDを数枚リリースしている。
この日の曲目は、ショパンイヤーに因んでオールショパン。ポロネーズやスケルツォや幻想曲ほか、マズルカ、ノクターン、前奏曲からの抜粋などが弾かれた。限られた一夜の中で、作曲家の成長、発展、最盛、衰弱が聞き取れるようプログラミングしたという。
ショパンの作風の変遷に焦点を絞ったアプローチは、幾分遅めのテンポで音符にじっくり向き合い意味を与えることで、熱心な研究成果の示された慈愛に満ちた演奏を生み出していた。スター的エンターテイメントやエキセントリックな独自性といった演奏とは対極の演奏会であり、各々の作品から作曲家の心情が馥郁(ふくいく)と立ち昇って来る感じだった。
海外からの一時帰国という形でリサイタルをするには、色々と苦労があるのではと察するが、海外で優秀な日本人が活躍していることがわかるためにも、今後とも日本での演奏会を続けて欲しいと思う。
ピアノ音楽誌 月刊「ショパン」 2011年1月号(10月27日、王子ホール)
批評家:野崎正俊
今年はショパン生誕200年を記念して、オール・ショパン・プログラムによるリサイタルが少なくなかったが、この三木裕子の場合のように全曲小品で組まれているのは珍しいのではなかろうか。演奏されたのは全部で17曲、ほぼ作曲された年代順である。
はじめの『遺作のポロネーズ』2曲は処女作であるが、流れるように美しい旋律にはショパンの天才音楽家としての資質が垣間見える。それを慈しむかのように優しく扱った三木の感性も好ましい。続く、ワルシャワ音楽院で修行中に書かれたホ短調の遺作のノクターンとフーガも習作というべきだが、三木の演奏は、作品の性格を汲み取った自然の流れが気持ちがよい。それはザルツブルグのモーツァルテウム教授としての長年のヨーロッパ生活の中で培われた感性によるものかもしれない。
このように1曲ずつ記すときりがないが、練習曲ホ長調『別れの曲』や、ワルツ『華麗なる円舞曲』となると演奏自体もスケールを加え、三木の演奏は1曲ごとに独立した作品としての完結性を追求するようになる。スケルツォ第2番変ロ短調はゆっくりとしたテンポを保持しつつ細部にまで注意が行き届き、その一貫した音楽の流れが説得力を持つ。
後半も同様で、作品の規模に応じて的確に音楽をまとめあげる三木の読みの深さは見事なものである。幻想曲ヘ短調など多少息苦しさを感じさせたものの、最後のマズルカ4曲で余韻を残すように静かに締めくくられたのも心憎い。
「ムジカノーヴァ 2009年7月号」(4月8日、東京文化会館小ホール)
川原亨
東京藝大からミュンヘン音大、モーツァルテウム音楽院に学んだ三木裕子は、現在もドイツ、オーストリアを中心に演奏活動を展開している。今回のテーマは「幻想曲」が中心。
最初がモーツァルトのハ短調の《幻想曲》K475と同《ソナタ》K457。上質のテクニックで展開されるモーツァルトは、幻想曲のシリアスな部分で、このピアニストの深層によぎるさまざまな情感を感じさせたし、ソナタではオペラを観ているような錯覚を覚えさせた。それは舞台でおどけ、飛び回る道化役者の泣き笑い…といったもので、そこに展開される演奏の上手さや、語り口のうまさを強く印象付けた。
スクリャービンの《幻想ソナタ嬰ト短調》作品19では、みずみずしい音の生命力をいっぱいに紡ぎ上げた第1楽章、続く弱奏とペダルの妙味、多様なタッチによる第2楽章のソット・ヴォーチェの歌など、香り立つようなピアノの響きでうたい交わす音たちの相貌は、まさにスクリャービンの幻想そのもの。
後半はシューマンの《クライスレリアーナ》。この生気に富んだ律動と緩急自在な世界、そこに繰り広げられる「シューマン語」にあふれた幻想が実に鮮やかに描き出された。第1曲の推進力、語りのうまさを示した第2曲、第5・6・7曲の対比の妙、鮮やかなフガートのあとのレント、そのためらいからミステリオーソな終曲へと続く音の絵巻物が深く心に刻み込まれた。個性的なリズムの扱い、和声に対する響きの把握、それらを幻想的に高める拍の運びなどに、このピアニストのすぐれた感性を感じた。
「日本経済新聞(夕刊) 2006年11月2日」
音楽評論家:白石知雄
京都出身ザルツブルク在住のピアニスト、三木裕子の国内でのリサイタルは数年に一度のペースだが、毎回、筋の通った選曲で啓発される。今回はザルツブルク生まれのモーツァルト生誕に250年と、三木自身の同地滞在25年の節目を兼ね、最初期の習作から死の直前の小品(アンコール)まで、彼の生涯の軌跡を一晩でたどるプログラムである(10月26日、京都府民ホール・アルティ)。
なによりも、モーツァルトの少年期と成人後の弾き分けが鮮明だった。彼の最初の作曲とされるケッヘル番号1番(KV1)の5曲では、フレーズを大づかみにして子供っぽさを強調し、10代後半で書かれた「ソナタ第4番」では、時折のぞかせる真剣な憂いの表情を極上の柔らかい弱音で際だたせる。
一方、22歳の「ソナタ第9番」はオーケストラ風に厚い響きで、いわば、かつらを付けた正装の曲。イ短調の音楽から三木が取り出す感情は激烈で、第一楽章は厳しいリズムでひたすら突進し、第二楽章の彫りの深い表情や、第三楽章の不安感はロマン派を先取りする。ウィーン時代29歳の「幻想曲ハ短調」は、絶望、慰め、怒りなど生々しい感情が噴出して、名優の独り舞台を思わせた。
最近は、失われた過去の音との落差を誇張する、いわゆる「ピリオド演奏」が全盛だが、三木裕子は、モーツァルトの「普遍的な人間性」を確信しているように見える。大げさに言えば、ポストモダン時代を生きる近代の人。しかし打楽器を知的に制御し、想い予備拍や大胆な揺らぎなどドイツ語圏特有の奏法を自然に体得した演奏に、古さは感じない。国境の町ザルツブルクには、今も特別な時間が流れているのかも知れない。
「日本経済新聞(夕刊) 2002年4月15日」
音楽評論家:小石忠男
三木裕子が、関西で7年ぶりのリサイタルを開いた(6日・いずみホール)。
ザルツブルクに4半世紀も在住している京都出身のピアニストである。今回はシューベルト(D933)、シューマン、ブラームス(作品116)、ショパンの「幻想曲」を弾いたが、アンコールもやはり「幻想曲」3曲を並べるという徹底ぶりであった。
音楽に「幻想曲」という特定の分野はないので、それぞれに作品は異なるものの確かに地味な曲目といえる。曲に違いをよほど明確にしないと、聴き手を低靴させられる恐れもある。
しかし三木はそのすべてに充実感をもたらし、高度の技術を要するシューマンの第二楽章やブラームスの7曲のなかの3つの「奇想曲」を、必要にして十分な技巧でまとめた。4曲のことなる様式を端正な造形で描き、音構造の相違を鮮明に処理して、結果的に作風の違いを強く印象づけることになった。
このように曲の個性を、響きの効果も含めて的確に表現したのは、細部に至るまで曲を追求し、手中に収めた成果であろう。しかし三木の音楽のバランスのよい構成力もさることながら、それよりも曲の核心に分ける洞察力と抑制された造形の中で明滅する叙情のゆかたさが魅力である。彼女の場合、内面の深さをこそ評価せねばなるまい。
したがって、シューベルトやシューマンの第三楽章、ブラームスの「間奏曲」などは文字通りファンタジーにみちた音楽となった。独自の弱音の効果や間(ま)の美しさも、そうした感興の表明といえるだろう。
ショパンの節度をもった純粋なたたずまいも彼女らしいが、各曲ともに微妙な音色と表現の変化による自己主張が、繊細な歌につながり、しかも意外なほどの内面の強さを示していた。
軽薄短小のこの時代、このようなピアニストは貴重な存在といえるだろう。
Badische Zeitung
Im Rahmen der Kulturtage fand ein Klavierabend mit Hiroko Miki
Schon beim ersten Satz der Sonate D-Dur, Op. 28, „Pastorale“ hob Hiroko Miki das würdig-schreitende Thema mit gesanglicher Stimmführung und deutlich akzentuierten Bögen heraus. Im Andante beeindruckte die Pianistin durch kraftvolle, dynamische Läufe über dem meist marschmäßig anmutenden ostinato-Baß, während wirbelnde Arpeggien ihr im letzten Satz Gelegenheit gaben, ihre brillante Technik zu zeigen. Beethovens „6 Bagatellen Op.126“ ermöglichten es Frau Miki, die unterschiedlichsten Stimmungen zu interpretieren. Einem weichen, träumerischen Andante, das nicht zuletzt einer ausgewogenen Pedaltechnik wegen so überzeugend klang, folgte ein Presto, dessen vielfältige Kontraste die Pianistin glänzend hervorhob. Das Quasi Allegretto vermittelte dann eine ruhige, fast friedliche Atmosphäre.
Abendzeitung München
Die pianistische Feuerprobe hat Hiroko Miki mit Beethoven Es-Dur-Klavierkonzert glänzend bestanden. Ihre Technik ist perfekt, klaviristische Abläufe funktionieren makellos.
Iserlohner Kreisanzeiger und Zeitung
Das Beste zum Schluß war Hiroko Miki in einer unerhört intensiven, glühenden, entfesselnden Wiedergabe der enorm schweren „Sonate 1926“ – in dieser kleinen Japanerin hat man wohl „die“ Entdeckung dieser Herbsttage zu erblicken, sie wurde dann auch mit Jubel, Getrampel und rhythmischem Klatschen minutenlang gefeiert.
Tiroler Tageszeitung
Spannungsgeladen gestaltete sich vergangenen Mittwoch ein Klavierabend von Hiroko Miki im Konzertsaal.
Die Preludes von Debussy gestaltete die Pianistin stimmungsvoll und dem Charakter der Stücke entsprechend : in klangbetontem Spiel wurden die harmonische Dichte, die den einzelnen Kompositionen zugrunde liegt, sowie die feinen Nuancen und die eigene Klangwelt mit ihren deskriptiven Inhalten gestaltet. Im Gegenzug dazu die „Davidsbündlertänze“ von Schumann, diese so unterschiedlichen „Tänze“ verstand Hiroko Miki mit Eleganz und hoher Virtuosität wiederzugeben. Zum Abschluß Beethovens letzte Klaviersonate verstand Hiroko Miki in einer von der ersten bis letzten Note spannungsgeladenen Interpretation glaubhaft zu vermitteln. Es gelang ihr, den Hörer in den Bann dieser so expressiven Klangwelt zu ziehen, ihm die Komplexität der Musik des späten Beethovens generell und dieses Stückes speziell zu eröffnen.
Salzburger Nachrichten
Ihr (Hiroko Miki) Sinn für weiträumige Arpeggios, für drängende Oktavserien, für schwebende Kantilenen und für rhythmische Präzision ließ ahnen, in welchem Maße das Werk als konzertante Überhöhung von „Consolation“ ,Konzertetüde und Poém zu betrachten ist.
Süddeutsch Zeitung
Der Solopart in Beethoven Es-Dur-Konzert lag in zuverlässigen, flinken japanischen Händen: Hiroko Miki auf sehr beeindruckende Weise :ein schier unerschütterbares pianistisches Rüstzeug, eine Hinwendung zu nicht nur straffen Tempi, sondern auch zu bewußt rhythmisch gliedernder Artikulation. Beethoven als „Emperor“ –diese Attitüde, die dem Es-Dur-Konzert im Ausland ja schon das gleichnamige Etikett verschafft hat, war ganz gegenwärtig. Dabei klang das Adagio durchaus sensibel.
Traunsteiner Wochenblatt
Festspiele am Chiemsee :
Klavierkonzert mit der Meisterpianistin Hiroko Miki
Es ist erstaunlich, wie sich Japaner in die abendländische Musik einzufühlen verstehen (dafür gibt es unzählige Beispiele). Das, was Hiroko Miki immerhin mit der gebotenen Spannweite vom verklärt-sublimen Impressionismus Debussys über die tänzerisch-wiegende, romantische Klangwelt Schumanns bis zu der aus den Tiefen menschlichen Wesens schöpfenden Klassik Beethovens vorzutragen vermochte, beeindruckte schon durch eine ausgewogene Originalität und feinsinnige Gefühlsstärke.